URL= http://www.tgitokyo.co.jp/museum


このページは、これから「ミニチュアカー」・「模型自動車」・「おもちゃの自動車」を集めようとされる方の情報源のコーナーです。

情報&資料の入手方法

 (1)専門誌の購読

国内で出版されている専門雑誌の購読をお奨めします。   Rev.:2013年11月5日 更新

(1−1)ミニカーマガジン/Minicar magazine

国内最大のミニカー専門店「ミニカーショップイケダ」(東京都荒川区西日暮里2-15-9・電話:03−3806−1219)が発行するB6判、22ページの月刊誌。年間講読料3,000 円。新製品の紹介「ニュー・モデル・ギャラリー」、入荷一覧「マンスリー・レポート」、特集・連載記事や国内をはじめ海外の情報が盛り沢山の内容です。なお、 店頭ではお買い物のお客様はこの『ミニカーマガジン』の最新号と先月号が手に入ります。*平成25年11月5日に日暮里駅前・ステーションガーデンタワー2F
から上記へ移転しました。

(1−2)モデルカー/Model cars

1985年の創刊以来、全国の書店でも取り扱われているクルマを愛するマニアの為の自動車模型専門誌です。実車の出版社として定評のある趣味の総合出版社「ネコ・パブリッシング」(東京都目黒区碑文谷・電話:03-5723-6000)が発行する。毎月26日発売、1,550円。各国の絶版 ミニチュアカーやプラモデルの解説から話題の新製品まで記事の内容は充実しています。

(1−3)トーイコレクション/TOY Collection ほか

1999年12月に「大人だからこそ分かる、玩具の魅力がある」とのキャッチフレーズで創刊された「おもちゃコレクション」のための専門誌。全国の書店でも取り扱われている。出版社は、先に紹介した「ネコ・パブリッシング」(東京都目黒区碑文谷・電話番号:03-5723-6000)です。定価1,500円。注目のおもちゃの紹介やイベント開催の情報、ワールドワイドな誌面創りを目指す専門誌です。*現在は、休刊中です。

その他、近所の書店の趣味のコーナーには、ミニチュアカー、模型自動車、アンティークトイに関する新刊のムック本等が並んでいます。

2008年4月には、芸文社(東京都豊島区東池袋・電話番号:03-5992-2051)からはBEIBUN MOOKS No.586として『アンティークトイス Vol.1』が発売された。デンマークの絶版ミニカーテクノや珍しい国産プラモデルのクルマなど懐かしいおもちゃがカラー写真で紹介されています。価格は2,000円。

 

(2)愛好団体の機関誌バックナンバー&その他専門誌の紹介

(2−1)コレクター誌/COLLECTOR 全106冊

旭玩具製作所内 JMCC=ジャパン・ミニチュア・コレクターズ・クラブ発行、1960年2月創刊。国産初のミニカー・メーカー旭玩具製作所「ATCモデルペット」の愛好家の交流広場として、設立されたクラブの月刊機関誌だが、当社がヨーロッパのディンキー、コーギー等の世界的ブランドの輸入代理店となったことに伴い世界のミニカー情報やコレクションする楽しみを語り続けて1969年1月、通巻Vol.106をもって廃刊となった。現在、当時のミニカーコレクションの資料としては貴重な冊子です。現在、インターネット・オークションの「ミニチュアカー」のアイテムとして数冊が時々出品されています。

(2−2)ミニチュアカー誌/Miniature Car 全310冊

株式会社可堂玩具内 NMCC=日本・ミニチュア・カー・クラブ発行、1968年2月創刊。東京・蔵前の人形とミニカー等の玩具問屋の(株)可堂玩具によって創刊、B6判サイズ(注:当初は週刊雑誌サイズB5判で創刊され、その後はA5判サイズを経てB6判の大きさ)の月刊の小冊子。地方在住のマニアにとって、この国内唯一のミニカー専門誌は大切な情報源だった。当社は経営不振により、1994年8月、通巻Vol.310を最後に廃刊された。現在、インターネット・オークションの「ミニチュアカー」のアイテムとして出品されていることがある。

(2−3)マックジェニュース誌/MACJ NEWS 全58冊 

Mini Auto Club of Japanによって発行、1975年9月創刊。「小さなミニオート、その小さなもので出来た大きな繋がり――この交流の輪を世界に拡げよう」をテーマに活動してきた若手コレクターならびに長老ヴェテラン・コレクター総勢35名の団体。今日、業界で活躍されているアイアイアド経営の増田氏、シューストック経営の今井氏、ミニチュアポルシェ博物館主宰の松島氏、ウィラブトーイショー主催の榎氏等も当クラブの元メンバー。当初、機関誌「月刊マックジェ ニュース」は、会員のみ配布だったが、1980年5月発行の通巻Vol.31からは、発行担当:落合崇伸、広報担当:田中秀明、ほか会員ならびに各方面の方々のご協力を得て、当時の東京・神奈川の主要ミニカー専門店にて200円【注:1983年8月号・通巻Vol.50記念特別号/168頁のみ1,200円】で販売された。当誌の取扱い店は、アイアイアド・カンパニー(練馬区北町=現在、銀座4丁目)、アライファインアート(港区南青山)、イケダ模型(荒川区西日暮里)、カルロブリアンツア(墨田区八広)、サンセット(横浜市元町)、千代田ママストアー・ビッグボーイ(横浜市伊勢崎町)、フジヤ模型(板橋区常盤台)。なお、現在は休刊している。

(2−4)TOYS/トイス誌 

伊国IDEA3オーナーのマルコ・ボッシィ氏により発行、1975年1月、No.0創刊。イタリアのミニカーメーカーIDEA3、定期開催のイベント「トリノ・アンティーク・トーイ交換会」、著書「マーキュリーの歴史(1974年発行)」、著書「TOYS MEETING(1983年発行)」などでも知られるIDEA3から創刊。アンティークのブリキ・モデル、絶版ミニカーから新作ホワイトメタル・モデルまで写真紹介と評論、誌面はイタリア語、フランス語、英語で併記された。当誌は、何よりも毎号の珍しいおもちゃが載ったカラーグラビアの表紙は素晴らしいものだった。当誌の創刊には、日本のMini Auto Club of JapanMACJ)はマルコと親交があったことから大きく関わった。創刊後、日本で一早く店頭で販売(1,500円)したのは、横浜のミニカー専門店ビッグボーイでした。なお、当誌は残念ながら1982年廃刊となった。

(2−5)その他の絶版資料

世界のミニカー(保育社)
日本のミニカー(
保育社)
MODEL COMMERCIAL VEHICLES(英国)
British Diecast Model Toys(英国)
Tootsietoys ―- World's Diecast Models(米国)
Building and Collecting Model Automobiles(米国)
HISTORY OF BRITSH DINKY TOYS(英国)
Collecting Toys Cars & Trucks (米国)
L'automobiliste TRACTIONS 7&11CV (仏国)
TOYS MEETING(伊国)
HISTORY OF MERCURY(伊国)
1920年代Tootsietoys、1930-1940年代Dinkytoys、など年代ものの当時のカタログ。
大盛屋、モデルペット、トミカなど国産ミニカーの絶版カタログ。
ほか。

*これらの一覧は順不同であり、ここに記載されている店名、書籍名、その他名称は日本または海外における商標または登録商標です。   

以上、当『懐かしいおもちゃの自動車博物館』事務局では、ここに紹介した(2−1)から(2−5)項目までの全ての専門誌の創刊号から廃刊もしくは最新号までの全ての貴重なバックナンバー、その他多数の単行本、資料を保有しております。参考資料として、ご覧になりたい方は、「資料公開係」宛て電子メールにてご連絡ください。また、コピーサービスをご利用になりたい方は、『コピーサービス希望』と明記の上、必要とされる資料名等を具体的に下記宛て電子メールにてご連絡ください。

これまで、全国各地の個人のブランド別、車種別の熱心なコレクター諸氏からミニカー専門店あるいはテレビ番組『開運なんでも鑑定団』ほか幅広くご利用いただいています。手数料は不要です。コピー代金と送料のみ実費ご負担頂きます。

●オンライン『懐かしいおもちゃの自動車博物館』事務局: toysmuseum@tgitokyo.co.jp

*注)、当事務局担当者の出張等により、ご返事が遅れる場合がございます。





ブリキの自動車の歴史

◆◆◆日本の金属ブリキ玩具の変遷〔要約〕◆◆◆

1930年初期は、自動車や飛行機などの金属玩具の製造技術が飛躍的に発展した。
1938年軍事統制により、金属玩具禁止の時期まで素晴らしい出来栄えの製品がつくられた。1945年終戦後、焼け野原の状況から材料として着目したのが、アメリカから上陸してきた進駐軍の缶詰のゴミの空き缶を再生する技法だった。空き缶はブリキの玩具として蘇った。
1949年にはブリキの玩具にフリクッションが装着した。当時、"Made in Occupied Japan"(占領下日本製)と表示が義務づけられ、多くはアメリカに輸出され、大好評を博し、玩具産業は活気を取りもどした。この表示が使用されたのは、戦後、輸出貿易が再開された1947年ごろから主権回復を果たす1952年4月のサンフランシスコ講和条約の発効までの約5年間であった。
それ以降、1956、57年ごろになると"MADE IN JAPAN"の玩具製造技術は世界の頂点に立に到った。その当時の素晴らしいブリキの自動車には現在30万〜50万円の値が付く名作も少なくない。しかし、1960年代後期をピークに製造コストが安く、安全性の高いプラスチック素材が主流になり、ブリキ玩具は次第に姿を消していった。

《参考資料》

全盛期の国産ブリキ玩具の商標これまでに入手した昭和20、30年代の国産ブリキの「懐かしいおもちゃの自動車」を両手で抱えて横向けたり、裏向けてみると"Made in Occupied Japan"あるいは"MADE IN JAPAN"の表記はあっても意外と正式な会社名表記はない。ただ、ロゴ等の商標(トレード)マークは表記されている製品は多い。

昭和39年発行の玩具業界紙から昭和38年当時の金属玩具メーカーの「商標」を調べてみました。


            ▲おもちゃの後部には"MADE IN JAPAN"とだけ表記されている。商標はない。


            ▲おもちゃの左後部には菱形に"DAIYA"【株式会社寺井商店】の商標がある。


            ▲おもちゃの左後部には「
商標」と"Made in Japan"という製造国表記がある。


これから紹介する商標は全盛期のわが国の主要金属玩具製造会社の商標です。現在、その多くは倒産、廃業した。
一覧表は各社の商標(トレード)マーク・法人名称・代表取締役名を記載したが順不同です。《1963年(昭和38年)当時》










商標は各社の心意気?

玩具メーカーの商標・ブランド名には各社の心意気が感じられる名称が数多い。例えば、BANDAI(株式会社バンダイ)は1950年に萬代屋の商標で創業、「萬代(万代)」永久不変の意味に由来し、創業者の山科直治氏が「いつの世も人の心を満たす物を作り、絶えない会社の発展を願う」という意味で名づけたとされている。主に地方のデパートや小売店向けの問屋からおもちゃの自社開発に乗り出し、輸出業務を開始。ブリキ自動車の赤箱シリーズを初め、近年ガンダムのプラモデルなど多くのヒット商品にも恵まれ、後発ながら大手玩具メーカーへと発展した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  Last up date: May 18, 2008


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